2019年4月3日水曜日

油断していました....。

動物と一緒に暮らしているみなさん、
病気は無い方が良いけど、そうはいきませんよね。

我が家にも病気の猫が数匹います。
ストレス性の頻尿血尿。momo

精神的な個性で自傷行為が突発するpilika

珍しいタイプの癌と戦うmei

鼻炎がひどく、定期的に注射を必要とするsizuku(だいぶ良くなりました)


そしてkちゃん。

彼は家のそばでボロボロになっているところを保護、一緒に暮らしてもらっています。
エイズキャリアでした。
満身創痍の手当のためにステロイド系の注射で治療。
その反動で突発性の糖尿病。
毎日の検査注射とインシュリン注射。
彼は私たちの下手な注射に耐えました。
そして、ドクターも驚く、糖尿病の完治。
その後、しばらくして、口内から出血、この時も慌てましたが、虫歯を抜いて事無きを得ました。
最近、動きが少なく、気にはなっていましたが、高齢(推定値ですが)と病歴を考慮するとこんな風で普通かな?と思いながら、日々を送っていました。
今朝、定位置に血痕を発見しましたが、kちゃんかどうかも判りませんでした。

kちゃんでした。


既にカサブタになっていて、数日、様子を見るという選択肢もあるのですが、
少しでも体力のある内に念のため、ドクターに診てもらうことにしました。
食事も水飲みもトイレもゆっくりですが大きな変化はありません。

特に、傷、出血に注意しなければならないkちゃん、ゴメンなさい。

保護したときは、去勢手術が不可能だったk。それほど、ひどい状態でした。

彼を見守るのは一緒に暮らしてもらっている私の責任ですが、
彼をこの世に送り出し、瀕死のボロボロ状態まで放っておいた責任からは、
この社会の誰も逃れられないと思います。

「全ての命を救うことは出来ない。
できる範囲で頑張る。」
正論のように聞こえるかもしれませんが、
嘘だと思います。
やりもしないで「不可能」というのはそれ自体「矛盾」
どのようにどれくらい不可能なのか?誰も説明すら出来ていません。
行政に至っては「失敗は許されないから出来ない」です。
何もしないというのは「組織ぐるみの犯罪」に近い。


小さな星屑からサンプルを持ち帰ることが可能な時代です。
要は「命」の重さをどこかに置き忘れているだけだと思います。
瀕死の猫を見て、
見ぬ振りができる社会で、
盛大、且つ、豪華に「世界的な運動会」が開催されます。

「悲惨な状況に置かれている全ての犬や猫に真当な手を差し伸べる」ことなど、
実は...
カンタンなことなんです。

気づいてますよね、みなさんは...。