2019年12月14日土曜日

その心は....

このブログでも、何度か紹介しています。


http://www.peshawar-pms.com/

国際NGO(NPO)「ペシャワール会」のサイトです。
中村 哲さんが亡くなられた報道で最近知った方も多いと思います。

立ち向かった課題の大きさ、深さは容易に想像できるものではありませんが、
学ぶことは尽きません。

皆様もぜひ!彼の足跡をたどり、今、世界は何を必要としているのかをそれぞれが考えて欲しいです。


「ボランティア」というと無償の活動で、
自分ができることを、できるときに、できるだけすることだと考えて良いと思いますが、
その活動を継続させて社会のインフラまでに成長させるには
「善意の持ち出し」だけでは回りません。善意があっても何もできない人がいることも忘れてはなりません。
では社会の変革を願い、活動するにはどうすれば良いのでしょうか?

このサイトは信念の基に集まった人々の地道な活動が報告されています。
当然ながら、その詳細の裏には過酷で言葉にできないこともあると察します。


「動物を捨てる人々」
環境省の啓発ポスターに「動物の遺棄、虐待は犯罪です」というのがあります。
その刑罰の重軽の話は次回にするとして、
さて、
今の時期、捨てられた動物は「確実に死にます」「凍え死にます」
ですから、動物とはいえ、この犯罪は
「命を奪うという犯罪です」
人間の場合、理由はともかく、自分が殺されるかもしれないと思えば、死力を尽くして反撃するでしょう。
猫の場合、私が知る限り、人を攻撃して殺すことはありません。
ダンボールに入れられて、外に置かれたら....死ぬのです。
犬が人を嚙み殺すことがニュースになることがありますが、
毎日毎日、闇から闇に葬られる犬の数を誰がニュースにするでしょうか?
犬が人に危害を加えれば、最悪の場合、殺されますが、
人間が犬を何らかの理由で殺しても、それは見過ごされています。
動物殺しは行政も積極的に行っていました。
多くは「生かす方法」を行政が考えなかった結果です。

この国は、いや、人類は残念ながら、他の命をもらわなければ生きていけません。
しかし、
無抵抗の動物を殺しても良いという理由にはならないでしょう。

動物の保護を考える時、
これは「社会改革」だと認識しなければ、
歩みが止まることはなくとも、
「善意の分け合い」が厳しくなり自分の持ち出しの限界が活動の限界になるでしょう。


「真の奉仕とは、自分を満たしつつ、相手に与えていくということです。」
ナイチンゲールの言葉もあらためて深く考えなければなりませんが.....。


短い期間に家族を多く看取りましたので、ちょっとした、不調も重くのしかかります。
fu、やや不調。


i君のパンチはかなり危険です。


人気スポット。


新人のnini、お利口さん。早く仲良しができるといいね!