2020年4月25日土曜日

癌と戦っためいちゃん。

2011年1月26日から家族になってくれためいちゃん。
保護当初、
小樽の病院では妊娠中という誤診で。
個室の用意や赤ちゃん対策、人間も相当に慌てました。
いやはやめいちゃんはスタートから個室に入れらたり、苦労かけました。

その後、mとiがお世話になった札幌の病院で無事に検査や避妊手術を済ませて、
あらためて家中生活がスタートしました。

癌との戦いとその終わり.....。

すっかり家族として暮らしていためいちゃん、
2019年1月17日に嘔吐が有り、
仲間の嘔吐とちょっと違う感じだったので様子観察開始。
「やはりちょっと..」で、
同年1月26日に入院、29日に退院。
検査結果は骨が溶けるタイプの癌。
*この骨が溶けるというのは私たちに判りやすく説明するためのドクターの表現で、
正確に骨が溶けるという意味とは少々違うようです。
この時点で、ドクターの推定年齢は12~13歳。

余命宣告は早ければ5ヶ月、それを乗り切っても一年はどうか?
厳しく重い宣告です。
別の猫家族ですがちょっと前に、
「全く予測がつかず、いつ逝っても不思議が無い」という、
診断をいただいたこともありましたが、
一見して普段と同じめいちゃんを見ていると、
ショックは別な感じで、大きく、重く、瞬時に納得できるものではありませんでした。

退院した1月29日から毎日の抗がん剤とステロイドの投与が始まり、
症状の判断と副作用の所見からステロイドを2月9日に中止。

3月3日
抗がん剤が4日間隔になりました。

3月8日
急激に体力が落ちた様子。

3月9日検査
肺に水の兆候、転移では無く再発の可能性。
これは解りづらいことですが、
当初の診断結果の骨に関わる癌は、
転移が始まれば進行が早く別な症状が見られるということで、
この日の検査結果は別な癌が発出している疑いが有る。
ということらしいです。
とにかく一段上のステージになり、
対策を検討しました。

3月10日
ステロイドの投薬を再開しましたが、減っていた食事量がさらに減るようになりました。

3月11日
ステロイド投与の直後に嘔吐、よだれなど異常が見られ、
ドクターに相談の結果、抗がん剤、ステロイド両方の投与を中止。
緩やかな着地を目指しての「看取り」という新たな決断をしなければなりませんでした。

3月14日
ご飯にゼラチン状のサプリを混ぜることにしました。
食べようとする動作は見せますがスタミナがついていかないようで、
お母さんはタイミングとご飯の種類に新たな苦労が始まりました。

3月28日
この頃から食欲が少し戻り、動きも増えたように思えました。

4月〜
上記サプリの他に高栄養の粉末もご飯に入れました。

4月4日
しゃっくりのような症状が出始めました。

4月12日、13日
泡状の嘔吐としゃっくり。

4月14日〜17日
闘病中、暮らしていた二階から一階に降りて、また、二階に戻る動き。

4月18日
嘔吐

4月20日
この頃から、
トイレに間に合わないのか、
トイレの外におしっこをするようになりました。
*食欲が激減。

4月22日
食欲が全く無くなり、ご飯を避けるように動きました。

4月23日(木曜日)19:20
旅立ちました。

概ねの経過です、同様の苦労をされている方々の参考になれば嬉しく思います。

めいちゃん。
誰にも嫌われず、誰も嫌うこと無く、いつも遠慮がちにお母さんのそばにいてくれました。
仲間もめいちゃんを気遣うように暮らしてくれました。

外暮らしの限界。
寒い時、足を交互にあげて必死に耐えていた、めいちゃん。
貴女から多くのことを学び、多くの喜びもいただきました。
最善の親ではなかったかもしれませんが、
学んだことは無駄にしません、
おやすみなさい....めいちゃん、
ありがとう..めいちゃん。



僭越ですが一言。
すべての動物を悲惨な状況から救うことは困難かもしれません。
しかし、
困難と不可能は別なものです。
まずは
心ある多くの人々が己に垣根を作ること無く、
一つになる努力をして、
大きな社会の風となることを切に願う次第です。

行政は私たちが作ったものです、
変えることもできます。
変える私たちが一枚岩になることで
救える命はまだまだ増えると実感しています。