polo(右)だけが違う食事。
ケージは夜だけにして、なるべく多く動いて欲しい。
致命的な腸の症状を回避するために。
左はj、くっついているのは人間のお母さんだけが頼りのクリスティ。
で、
朝の三者会談となった次第です。
お日様に感謝その1。
下から、ジュニア、nini、bom。
上から見ると、
jにもお日様が。感謝その2。
外食中?のbom。
港にはおっきい船と小さい船。
それほど悪い1日ではなかった。
行政の動きの鈍さを除けば。
「恫喝」とは
「おどして、恐れさせること。」
公務員がその立場を十分承知して、行う「恫喝」は
一般のそれより、罪は重く、社会に対する影響も小さくない。
そして、罰は限りなく重い。
よほどの覚悟がなければ、公務員は一般市民を「おどして、恐れさせる」ことはできない。
証明されれば、その公務員は人生を変えることになるからだ。
何はともあれ、
今のところ、「恫喝」に屈する気持ちはない。
目的を達成させるためには別の方法も有るということだ。
動物保護活動に限らず、
「やりたい時に」「やれることを」「やれる人が」実施する。
ボランティアという概念が拡大されて、
その拡大概念が行政から見ると実に都合が良い。
一見、誰もが無理をせずに、自分の好きなことをやっているように見えるので、成果だけを上手に評価すれば一般市民に共同作業の業績と受け取ってもらえる。
「官民協働」を実現するには、
それなりの覚悟が必要だ。
行政はその覚悟で組織を動かしている。
だから、
たまには、
根性を見せる、
自分も捨て身であるかのように振る舞い、
「恫喝」の効果を確かめる。
しかし、
今までに、
本気でその根性を私に見せた「公務員」はいない。
行政と対峙する皆さん、
「恫喝」という言葉をお忘れなきよう。
彼らはそれを使うのが
どういう訳か?
ウマイ。