2016年7月21日木曜日

アガサはお利口様でしたヨ

アガサはお利口様でした。
オシッコが極端に近く、トイレまで間に合わなくなるほどで
量も少なく、軟便状態も有り。
早速、病院へ。



病院、到着。

診察の結果は、
膀胱炎のウタガイ濃厚。
抗生剤のお薬を飲んで四〜五日、様子を見ることになりました。

反省
車の中で吐いた。いつもより少しキャリーの底部が斜めだったのが原因かもしれない。
ごめんなさい、アガサ。
帰りはしっかり調整しました。
この件とはあまり関係ありませんが、ほとんどの車、ウィンカー出すのが「遅い!」
高速に上がるまでの時間が「高速道路」の意味を無くす。


こちら、kちゃん。
何度も書きますが、捨てられ、傷を負い、雨にぬれて、ボロボロになり、我が家に来てからは、重病、治療、食事コントロール…。これらを乗り越えて現在が有ります。動物の悲惨な状況を数え上げれば、切りが有りませんが、実際に接したkちゃんには多くのことを教わりました。「僕は生きたい…」その気持ちが彼をここまで元気にさせた原動力です。有識者の話に「簡単に擬人化することは冷静な判断を邪魔することがある」と表現されることが有ります。正論でしょう。しかし、人間が未だ知らない能力が有るとすれば、「命有るもの全て」と会話できることも、その一つだと確信しています。なぜなら、kちゃんが自分の皮膚を血が滲むまで舐め壊した光景と、この寝姿の両方を受け入れ無ければ前に進めないからです。「死にたく無い…」「生きたい…」そういう気持ちが全く、人間と同じだと考えなければ…前に進めない…からです。

下の段のmちゃんは我が家の最古参。人間のお父さんとお母さんを完璧にコントロールします。まっ、実力者ですね。
ところが、上段のクリスティにはその実力は通じないようです。おシッポさんがmちゃんの顔の前を行ったり来たり…。(後で良く言っておきますから勘弁ねmちゃん)

jくんがこうして外を見ていると、つい、「何を見ているのか?」気になります。
目線を同じような位置にして私もジ〜っと見ますが、特別仲間の猫が居る訳でも、狩猟相手の雀が居る訳でもありません。強いて言えば、風で動く花や樹を見ているようです。ちょっと、切なくなります。人間の生活に合わせる動物達。そうしなければ生きていけない猫。「今は最善なのか?」この疑問は常に私や多くの保護活動者が、心底に眠らせている素朴な疑問の一つです。



ここまで、読んでいただいて、ありがとうございます。「猫の話だけで、良くまあ、毎日少しでも書けますね〜」と言われることが有ります。「書き足りない」というのが本音です。


保健所の方とミーティング。
有意義でした。
本当によく調べていて、いろいろと教わることができました。この場を借りて、あらためて御礼申し上げます。
前進有るのみ!との印象を深くしました。どんなに大きな改革もたった一人の心から始まるのだと思います。彼は冷静に「やるべき事」を「どのようにしたら」「出来るのか?」と課題を整理しながら、進む方法を知っているようでした。