私は病院が嫌いだ。
と、いうより、オッカナイ!
痛さ、辛さにたまらず近所の病院へ駆け込むことがあるが、
出血しているとか、明らかに傷が化膿しているとか、足が痛くてたまらん!
、こんな場合だ。
猫も病院が嫌いだ!
こちらから見て、辛そうに見えても病院が救ってくれることなど、
猫は判らない(稀に病院好きの動物もいるらしいが)。
でも、どうしても病院へ行った方が良い場合は少なく無い。
それが難しい。
どんなドクターも「診無い限り判らない」
猫をストレスなく病院へ連れて行ける方法は一つの「学問」になると思うくらい大変だ。と、感じる。
今日は疲れた、
お留守番のmodo、きっと、お父さんを待って、疲れたんだね。(お父さんの勝手な思い込み...)
小樽に新しいホテルができたらしい。
猫が凍え死ぬことを「観光都市の課題」としない、小樽に..。
衛生面で猫が問題だという理由で毒殺なんかしないだろうなあ。
「なぜ?猫が存在しているのか?」
この問題を「接客のマニュアル朝礼」の時にでも出してほしいなあ。
もしも、
観光が産業だという人がいたら、
もしも、
小樽に観光資源があると思っている人がいたら、
産業はいずれ衰退することは過去が教えているし、
資源というものも必ず無くなる。
無くならないものある。
「文化とまで言える人の優しさ」がそれだ。
「旅をすることは、他国に対する間違った認識に気づくことである」
誰かの残した言葉らしい。
小樽という街が
「動物の命をどのように考え、扱っているか」
もうすでに気づかれている。
しかし、
やるべきことをやれば、
まだ、間に合うかもしれない。
素敵な港町小樽には多くのやさしき人々がいるから...。
親切心で書くが、役場、それに準ずる方々、もう少し、ネット社会の厳しさを勉強するべきだ。
小樽の動物の扱いはすでに世界中にバレている(ようだ)