2017年11月28日火曜日

あられ、不妊手術を強いられ、外に戻された猫の冬。

あられ、生存確認の日々が続きます。
説明は不要かもしれませんが。


どこから来たのか?ここにたどり着きました。

人間のお母さんが気づくまで、ここでじっと待ちます。初冬の時期としては零下ではありませんが、足元はシャーベット状態です。台所から見えるようにしています。

水を飲んでいるんだと思います。

何か見つけて食べているのかな?レスキューハウスに入ればご飯も水もありますが、警戒心が強く、簡単には中で食事はしないようです。

一度はこの場を離れようとします。

中に他の猫がいるかもしれないという警戒心、そこを頑張ってここまで戻ったようです。

溶けた雪の上を吹く風は冷たいだろうに、そう思うと、胸が苦しくなります。
どうやら、入ってみる決心をしたようです。




誰から見ても完全な動物保護を実施している国は無いでしょうが、
経済的格差はあるとしても、「もの」が有り余っている日本という国。
これほど、
動物の命を軽視する必要がどこに在るのでしょうか?
国を挙げて、官民協働で本気で取り組めば
悲惨な状況を最低限度に抑えるまでに、
それほど時間はかからないと思います。
さらに言えることは、
永遠に続くプロジェクトでは無い、
ということです。
それは、「絶滅危惧種」の急速な増大をみれば明らかです。
何もしなくても、人間社会の文明というヤツは
「生命の共生を許さない幼稚なシステムなのです」


猫は人間に害を及ぼさないから、「急速な殺戮はしない」
「しかし、積極的に保護する必要も無い」
これが
全ての公的機関の怠慢理由です。
人が
人ゆえに
猫の状況を切なく思うことは「害」では無いのです。

「鹿の個体数を制限するために殺して食べよう!」
これが、私の住んでいる日本の「背骨を貫く神経」です。