2007年10月23日火曜日

くつろいでいます。


i君、くつろいでいます。
この辺は猫君の縄張りになっていまして、
私がごろりとしていると、
人間のお母さんに報告します。
「ククー」という猫らしからぬ声で、
「困ったさん」の顔で訴えます。
私はパソコンのデスクに向かっているか、
押し入れの上段にいるものとなっているようです。
その押し入れの上段で読む本を定期的に図書館より仕入れてきます。
岩波新書の「落語の世界1.2.3」借りて参りました。
超斜め読みですが、つまらない、深く読ませる入り口が無い。
そして、高い¥3,000-
文中、篠山紀信が
「岩波が作ると難しい落語の本になりそうだねえ」と冗談を言っている。
「落語の愉しみ」「名人とは何か」ときて「落語の空間」の三部作?
学の有る方が愉しみに待ってるといけないので、
早速図書館へ返してこようと思います。
しばらくしたらもう一度読んでみようと思っています、
気になる題目では有りますので、、。
中公新書「ドナルドダックの世界像」これも難しかったなあ。
永六輔さんの「昭和」これは二回目なんですが、
今回の方が深く読んだ、
具体的な事例を話し口調を思わせるリズムで
「とんとん」と書いています。
今、「現代」という意味での今ですが
永六輔を生み出す状況は全く無いと行っていい、
時代が奇跡的な瞬間芸で永六輔を作り出した、
そんな感じを改めて痛感した。
「ぼくたちの七十年代」の高平哲郎、
異質では有るが時代との関わりから云えば、
括弧でくくれる共通因子はある。
やったこと、巡り会った人たち、同時進行の時代状況、
これらを書いて本になる、
これを可能にしているのは、
一つには学生時代の過ごし方、
もう少し云えば、
「なんとかなる」という好い意味の開き直りを若くして持っていたことではないだろうか?
学力は知らないが学歴は上等なものを持っている。
永さんは早稲田中退ではなく、早稲田高校卒業としているそうです。
中退という学歴は無いそうで、納得はなさっていないようですが、
公式?な学歴は高卒。
大学在学中に才能がお金になって、
その余裕がさらに多くの可能性を生む原動力になった、
のちに宿無し?となってさまよいながらも
さすがに軸を失わず己の道を歩いていらっしゃるご様子。
大げさではなく、
国にとって大切な人だと思っています。
近代史を書いてほしい、
事実と真実、ノンタブーで、、。