アガサ、薬を二週間、飲みきりました。
ドクターに報告、指示を頂きました。
「しばらく様子を見てください」
どうか、このままの体調でいてくれるよう、深く念じました。
もの言わぬ、
この小さな、
弱い、
命を、
見捨てようとした社会のシステムを、
私は…忘れない。
mimo(ミーモ)とuran(ウラン)
お兄ちゃんやお姉ちゃんの部屋に入りました。
一応、あっちこっち散策?して、
無事、自分たちの部屋に戻りました。
支援が届きました。
猫はもちろん!人間にも。
特に私の好きなものは必ず入っています。
ありがたいことです。
こうして、生活の一部を猫の命に使う人もいれば、
生活のために猫を殺し続ける人たちもいます。
無論、私たちの無関心が根底に大きく存在します。
究極の場面で、
人は自分を守るために、
他人を傷つけ、
殺すこともあるかもしれません、
戦争がそれを教えて余り有る事実を残しました。
確かに今は、世界中が不穏な空気に包まれています。
しかし、その現実が猫や犬を公費で殺す理由になるでしょうか?
動物を毎日殺さなければならない、何か?理由があるのでしょうか?私たちの知らない究極の場面なのでしょうか?
殺さないためにはどうしたら良いのか?
これこそが、社会の課題です。
全ての人々が役場と一緒になって取り組まなければならない重要な課題です。
これを読んでくださる皆さん、役場へ行って、「殺処分を即刻中止せよ!」と声を大にして伝えてください。
そして、
そのためには何をしなければならないのか?を膝を突き合わせて、話し合ってください。
誰も喜んで犬や猫を殺している訳ではないと思います。
殺し続ける人たちは、きっと、心に大きな闇を抱えてると思います。
その闇が存在することだけで、十分、殺処分が「公に資する」行為では無いことを示しています。
今日も多くの方々のアクセス、ありがとうございます。ご支援を勇気のエネルギーに変えて、前進します。